さて、前回の続きです。
譴責処分の噂が本人の耳にも入り、自主的に有給休職に入ったポン・コツ子さん。
実は、コツ子さんは独身で独り暮らしです。
近くに母親も独り暮らしをしていますが、折り合いが悪いため、別々の世帯を構えていました。
今回、休職にあたり小太り産業医は決して、母親の所に行って過ごすように、
とは言いませんでした。
なぜなら、母娘関係によるメンタルヘルスへの影響についての文献が散見され、
別居している方が、娘のアイデンティティが保たれるという論文もあります。
休職に入ってからも、メンタルクリニックの受診の報告も無いまま経過し、
休職途中の経過聞き取り面談もドタキャンする有様。
電話も出ない、メールをしても返事が無いなど、産業保健スタッフとの連絡を絶っていました。
休職して2ヶ月経過したところ、本人から突然連絡があり、復職したい!と伝えてきました。
面談が設定され、いよいよポン・コツ子さんが登場しました。
「あれ・・・?」
産業保健スタッフはキョトンとしてしまいます。
なんと、ポンコツ子さんの顔色はよく、ニコニコしての登場です。
どうやら、休職中の間に自己啓発系の本を読みまくったポン・コツ子さん、
既に今までの自己の振り返りや、今後の対策について流暢に話すのです!
「う~ん、双極性障害の躁期の出現か?」と思いましたが・・・。
冷静に自己分析ができていたのです。
自己判断で休職に入っているので、自己判断で出社したいという要望に対して、
産業医としては医学的、論理的理由が無い限り拒否できません。
復職後、今のところポン・コツ子さんは仕事をちゃんとこなしています。
フォローの面談中に、ポン・コツ子が話していたことが印象に残っています。
「私は、若いとき実はモテてたんですよ。
だから、難しい仕事は回ってこないし、困っているとその仕事を他の人が持って行ってくれてたんです。
でも、20代後半になって自分が何もできない事に気づくのですが、手遅れでした。」
「同期のバリ・バリ子さんは、どんどん仕事を覚えて周囲からの評価が上がっていきましたた。
でも、私はかわいいだけの女の子、で終わっているんです。」
「難しい仕事は避けたり、誤魔化したりするようになっていました。
自分が仕事ができないことが周囲に迷惑をかけていることも知っているけど、
でもどうしようも無かった」
環境に甘えてしまっていたポン・コツ子さんもいけませんが、
それを許していた職場環境も問題があると思います。
ポンコツをつくってしまう原因は幾つかあると思いますが、
ハラスメントが怖くて、過保護で優しすぎる職場をつくり出していませんか?
それは、将来ポンコツを育てる土壌になっているかもしれません。
感情論(怒る)では無く、理論的に叱ることが必要なのだと思います。
次回は、小太り産業医が考える、怒ると叱るの違いをお伝えしたいと思います。
人事担当者:「なるほど、人を育てるためには厳しい言葉も必要ですよね。」
小太り産業医:「まあ、ボクは褒めて伸びるタイプだけどね。」
人事担当者:「いやいや、先生は褒めると木に登るタイプだから!」
小太り産業医:「!!」
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文責:新井 孝典(あらい こうすけ)
株式会社 なごや産業医事務所:http://nagoya-sangyoui.com/
代表取締役 所長
認定産業医/労働衛生コンサルタント
認定内科医/循環器内科専門医
日本ストレスチェック協会理事・ファシリテーター
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