メンタル不調者が続出する組織の共通点。1万人以上面談した産業医が指摘する「みる技術」とは?

最近さまざまなクレーム関連ニュースを目にします。
うどん屋に立ち寄った消防隊員達に対するクレーム報道しかり、
電車の運転士においてはクレームを恐れ運転中水分補給もできず熱中症・脱水症状を呈するに至ったそうです。
他人の目を多少きにすることは必要な場合もあります。
しかし、それが高じて身体の危険をもたらしてしまうことは度が過ぎていると言えます。

 もちろん、世間の全てがこのようなことにクレームを上げているわけではなく、
web調査では実際に消防隊員達への約9割の人は
「勤務中でも正当な理由があれば消防車で食事に行くことは許容すべき」と答えています。

 同じ事象に対し、怒りやわだかまりやクレーム等としてSNS等に投稿する人としない人、
その違いはどこにあるのでしょうか。

 産業医の私からみていると、会社組織内でも同じようなことが日常的におこっています。
クレームは社内の派閥(仲良しグループ)対立がある会社と、コミュニケーションが円滑で良好な会社。
この違いも上記と同じところにあると私は考えます。

 それが、「みる」技術です。
みる技術を持つ人は、安易にクレームつけり、すぐに同僚に怒りません。
一方、このみる技術がない部署は、得てしてメンタルヘルス不調者が続出する傾向があります。

 今回は、コミュニケーションが円滑になされている組織の人たちのもつ
みる技術についてお話しさせていただきます。

◆コミュニケーションの基本は“みる”ことから
 人間が目から得る情報は、頭に入ってくる情報の75%と大きい部分を占めます。
そのような意味でも、「みる」ということはコミュニケーションの基本であり、とても大切なものなのです。
しかし、残念ながら、この「みる」ですら私たちの多くはしっかりできていないというのが実情です。

 「みる」を漢字で書いてみると代表的なものは5つあります。

1.視界に入れる「見る」、
2.注意してみる「視る」、
3.観察する・時間的変化もみる「観る」、
4.医者が症状・状態を診察する「診る」、
5.不調者をケアする「看る」

の以上の5つです。あなたは、いずれの「みる」もできていますか?

 平常時(健常人)を対象とした1-3の「みる」ならば、すべて自分はできていると言う方もいらっしゃるでしょう。 
しかし、本当でしょうか。
 私の経験上、コミュニケーションの上手な人は、5つを全部やっているわけではありません。
しかし、その場その場で必要な「みる」を意識せずとも自然とできているという人が多いのです。
 それは、上記のようなみる“技術”を持っているからではなく、
みる技術を使いこなす“マインド”を持っているからだと私は考えます。

◆みている〝つもり〟でも、みえていないものばかり

 むかしから「人は見たいものしか見ていない」と言われています。
 人は、自分の視界に入っていても、注意をしなければ観ておらず、意識にすら上がってこないことが多いのです。
また、あることを意識してみて観ると、ほかのことが見えなくなってしまいます。人間とはそのような生き物なのです。
 例えば、この文章を読んでいるあなたは、文字は目で注意して見ていますが、
同じパソコンのスクリーン上にあるウェブブラウザの枠にある文字やURL表示は意識に上がってきていないですね。
そう言われてウェブブラウザの枠に注意が行くと、今度はその瞬間は本文のテキストみえていないのです。
 このように、人は意識を向けたものしか、実際に自覚を持ってみられないのです。

 先ほどのその場その場で必要な「みる」を意識せずとも自然とできている人は、この点はどうなのでしょうか。
このような人たちでも、やはり、全部のみるを同時にはできていません。
ただ、この人たちは、
“あることを「みる」ことは、同時に他のことは「みる」ことができていない可能性がある”
ということを知っています。
自分は全ては見えていないということを自覚しているのです。

 いくら注意して見ても、自分には見えていない部分があるということを知っているということは、
つまり「見えていないこと=知らないことがあると言うことを知っている」のです。

 自分のことはわかっても、他人のことであればわからないことがあって当然です。
この「他人については知らないことがある」ということを知っているというのが、
みる技術を持っている人が共通して持っているマインドです。

◆「~かもしれない」という発想が大切
 このマインドがあるがゆえに、みた第一印象で決めるけることはしません。
例えば、相手に対して、「サボっているのだろう」、「サボっているに違いない」など決めるけるのではなく、
「体調が悪いのかもしれない」という“かもしれない”という発想を持ててているのです。
 この「かもしれない思考」ができること。これは「みる」技術を持っている人が共通してできていることです。

◆「~かもしれない」という発想が大切
 自分のことはわかっても、他人のことについては、よくわからないことがあるものです。
 だからこそ、他人のことを考えるときに大切なのが、
「サボっているんだろう」、「だらしがないんだろう」とか「引っ越したからだろう」というふうに
「~だろう」決めつけるのではなく、「~かもしれない」と考えることなのです。
 逆によくないのは、「サボっているに違いない」「だらしがないに違いない」というふうに
「~に違いない」と断定することです。
 
◆ソクラテスも知っていたこと
 「無知の知」とはソクラテスの言葉として有名ですが、ともかく他人のことはわからない。
この知らないということを知っている人は「~だろう」という決めつけでなくて
「~かもしれない」という思考回路ができています。
 誰でも自分のことはすぐわかりますが、他人のことはよくわかりません。
相手のことをじつはよく知らない、わからないことに気づくことがまず大切です。
そして、そのことに気づいた方は、他人に対して第一印象から、
「~だろう」「~違いない」と決めるけるのではなくて
「~かもしれない」と柔軟に考えることが大切なのです。

 組織内でコミュニケーションを上手にしている人、
例えばリーダーシップのある上長やメンタルヘルス不調者を出さない部門の上司とは、
このような「かもしれない」という発想ができる人だと私は感じます。

 実際に、例えばよく遅刻をする部下に対して「だらしないからだろう」と決めつけるのではなく、
「体調が悪いのかもしれない」、「プライベートで何か仕事の妨げになるものがあるのかもしれない」と考えているのです。
そのような思考から始まるコミュニケーションのある組織の中では、
クレームや不平不満は出にくいと感じます。

 原因となる行動をとった消防隊員や運転士が、本当にいけなかったのか。
それとも、クレームをつけた人は単に、そのとき見たことに対し“怒り”が爆発し
コントロールできずにSNSに投稿してしまったのでしょうか。
 私は当事者ではありませんので、本当のとことはわかりません。

 クレーム的なニュースを見たとき、私はちょっと悲しくなりました。
しかし、その後、9割の人は許容しているという調査に安心しました。
 「しっかり食べないと仕事ができないかもしれない」 
 「ずっと運転していて汗もかいているかもしれない」
 「熱中症を予防するためかもしれない」
 9割の人はきっと、上記のような“かもしれない”思考を持っていたのだと思います。

 繰り返しますが、他人については、いくらよくみていても、
やはり見えていないこと=知らないこともたくさんあるはずです。
 「知らないということを知る」
この事実を認識しているマインドが、「みる技術」を持っている人が身につけているマインドの1つ、
“かもしれない”思考なのです。

 ぜひ読者のみなさまも、職場でこの「みる」技術をはじめて見ませんか。