自己肯定感

皆さんこんにちは。ようやく暖かくなってきました。しかし、三寒四温といいますので油断大敵です。また、この季節は「花粉症」との戦いで、私の場合は「鼻」より目にきます。結構つらいのですが、先日ある記事で「ワセリン」を目頭から涙袋、又は鼻の中や鼻の下に塗ると効果があるとでていました。真偽のほどは定かでないのですが、キーワード検索でお調べになってみてはいかがでしょうか?

さて、今回は「自己肯定感」について私なりの見解を述べたいと思います。自己肯定感という言葉は読んで字のごとく「自分という存在を肯定的にとらえる」という事になります。ストレスと上手に付き合えている方の多くは、この感覚を上手くお持ちになっていると考えられます。
なぜなら、まずは自分自身の存在を素直に認めて、次のご自身の行動、環境にストレッサーがあるのかを取捨選別するステージにいる方と推測されるからです。一方で自己肯定感が低い方はそもそも自身の存在に根拠が欠けているので、行動にストレスを感じる前段階に当たりますから、そもそもあらゆる場面でストレスにぶつかる可能性が高いと推測されます。

自分を認める

しかしながら、言うは易しでこれがなかなか難儀なことです。「存在の根拠」というテーマは「哲学」でいえば、「生死」と同じくらいのテーマで、今も多くの哲学者が頭を悩ませている課題です。ですから、哲学者でもない私なんぞが、言えることは少ないと思いますが、少々の提案をさせていただければ思います。

人間は一人では生きていけません。私の父が私の学生時代によく言っていた言葉に「籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」という名言があります。たぶん父もどこかで聞き及んだ詠み人はわからない詩ですが、まさに社会のありようを示しているのだと思います。オンリーワンの存在であると考えれば考えるほど自分自身の存在に息苦しくなります。しかし、社会というフレームの中で生きる動物である人間は「役割分担」という前提で生きていると考え、生きていることで、少しは他者にとって意味のある存在であると考え方をシフトしてみたらどうでしょう。そんなに大それたことではなくてよいと思います。例えば、駅でおばあさんが階段を上るのを難儀にしていたらそっと手を差し出す。そんな時、人は小さな喜びと充実感を感じるものです。この小さな積み重ねが自分を認め「自己肯定感」を上げていく一つの方法だと思うのです。

いまるさん

もう一つ事例をご紹介すればコメディアンの明石家さんまさんのお子様の「いまる」さんの命名の由来で「生きてるだけで丸儲け」という発想です。この言葉にはさんまさんの「そこに生きている事だけで十分」という親心が込められていると聞いたことがあります。私はこの言葉を聞いたとき、素晴らしい命名だなと思ったのです。人間生まれた以上はいろんな楽しさ、時には苦悩もつきものです。でもそんな時、問題解決にフォーカスするのではなく、受け流すヒントがこの言葉には隠れています。

最後になりますが、この自己肯定感、存在の意味付けは上げようと思って努力すると失敗する可能性が高くなると思います。「自己肯定感が低い」との認知は不可欠ですが、無理やり上げようとすればそれがまたストレスになるからです。哲学をするのであれば別ですが、日常に目を向ければ、先に挙げたおばあさんの話のように「他者に想いをよせて」何かしてあげたいと思ったちょっとしたことを実践すれば徐々に自己肯定感も上がると思います。繰り返しになりますが人間は社会の中で生きていく動物です。絶対的な何かを求めるより、相対的な存在として自分を置き換えると少しは前進できると考えます。無理なく実践してみてはいかがでしょうか。
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高﨑 陽介
横浜市内介護サービス事業者勤務人事担当
勤務特定社労士
http://blog.goo.ne.jp/fiveten46
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