言語とコミュニケーション

何回もお話ししておりますが、我が家は国際結婚です。妻はタイ語、英語、日本語のトリリンガル、私は日本語と中学英語(笑)
前回は違いを分かって話すということをお話ししました。その続編です。
9月5日までタイに帰省中の妻が家にいると、日本語、英語、タイ語がカオスで話されます。日本語は娘も含め3人の共通言語。タイ語は妻の独り言と、娘に少しでも故国のお義母さんと話せるように、使用。英語は日本語の難しい表現を英語に訳して妻に理解を求めることと、某大手教育業者の英語教材で娘が勉強?!という使い分けです。
しかしながら、所詮お互いの母国語に最後は置き換えをしているにすぎません。

娘と言語

一方娘にフォーカスすると、三か国語を「知識」でなく「感覚」でとらえているように見えます。つまりは空気を吸うのと一緒。妻の英語もそれに近いかもしれません。
ですから「英語脳」「タイ語脳」「日本語脳(ただしこれは妻は除外)」でダイレクトに入っていきます。
よく「語学は勉強ではない」という所以がここにあるのかもしれません。
この脳の構造は幼少期に形成されるので、いくら大人になってから頑張っても結局は置き換え作業をすることになるということです。

異なる言語共有化の難しさ

話は変わり、大人になって最近は、海外の方と話す機会が多くなっています。私も妻と結婚してからこのかた、タイ・台湾・香港・インドなど方々とお会いする機会がありました。
こどもは無邪気なものでいいのですが、大人同士はそうはいかないです。特に困ったのは台湾の方であちらは中国語と日本語、こちらは日本語とタイ語と英語、しかも先ほどの「○○語脳」が全一致しない関係です。
仕事上のお付き合いでもないので、差しさわりのないことで済みますが、ビジネスなどになるとそうもいかず、お互いの意思の伝わらなさがストレスになります。
国内の政治家同士でも少々の言葉尻で折り合わないのですから、国家間の交渉ともなれば、なるほど訳者の腕の見せ所なのでしょう。

ボディランゲージと共感を生む土壌をつくる。

さてこう見てきて、経験談ですが、こんにちは(おはよう、こんばんは含む)、ありがとう、いただきます(物も食事も)、ごめんなさいを使えればとりあえず急場はしのげます。あとはボディランゲージですね。
また、共感土壌を生むという点で「世界共通語を英語」的な風潮がありますが、はたしてどうでしょうか?それぞれの文化を英語に合わせることが本当に可能なのでしょうか。だから新しい言語を作れというわけではありません。
相手の言語に自分の言語のどれが当てはまるのかを考える土壌、理解しようという姿勢が共感を生むのではないでしょうか。
かつて、健康食品等の会社で長者番付にもでており、著書もたくさん書いている斎藤一人さんが「英語なんて覚えなくていい、英語ができる人に訳してもらえばいいんだ」的なことを言っていらっしゃいました。
ここだけ切り取ると「英語が話せる人が話せばいいだけ」に聞こえてしまいますが、これは今にして思えば相手方に共感(ラポール)してもらうことが大切なのだということでしょうか。言語、知識としての語学より、お互いに相互理解を生みストレスがミニマムになるよう知恵を絞りたいものです。

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高﨑 陽介
横浜市内介護サービス事業者勤務人事担当
勤務特定社労士
http://blog.goo.ne.jp/fiveten46
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