自己決定

自己決定感ありますか

 皆さんこんにちは、先日、娘の初めての運動会に参加してきました。
 小さな体で一生懸命、かけっこやお遊戯をしている姿をみると、自分が忘れていた「ひた向きにものに取り組む姿勢」がみられて、親バカも相まってか、子供たちの姿には心打たれます。

毎日与えられたことだけで終わっていませんか

 さて、話をもう少し広げていってみましょう。

 幼稚園の彼女たちは運動会の競技を「やらされているのでしょうか」。確かに大人たちのレールの上で言いつけ通り競技をこなしていると、とらえることもできるかもしれません。しかし、一方で自分から「やりたい」という姿勢だから、満面の笑みや真剣なまなざしが出てくるのかと思うのです。

 私たち社会人も日々何らかの選択を自己決定しながら、仕事や家庭生活を営んでいます。また、その選択のほとんどは「世間的には、会社としては」など外圧的な要素で判断をくり返しているのではないでしょうか。もちろん、社会人として生きていく上に置いては必要不可欠なことです。

 しかし、この自己決定するという過程において、本当に納得して日々を過ごしていますか。

ちょっとしたことでも

 最近、私はこの「自己決定」の過程にストレス要因の一端があるのではないかと思っています。というのも、先にも述べたように、日常では何かなくやらなければならないことを「やる・やらない」の選択を繰り返す日々が続きます。

 しかしこの「やる」を「やりたい」に言葉を置き換えてみてください。

 小さなことですが、「家族サービスをやらなければ」といって自分自身選択するのか「家族サービスで自分も楽しもう」と思って、ことに当たるのでは、その後の高揚感は全く違うものになってくると思います。
 現に私も最近このような思考を実践していると、同じことをしても全く違った感覚に身を置くことになります。

 人生は選択の連続で成り立っています。そんなとき、他動的にやらされた感が毎日続くようでは、心のゴムも伸びきってしまいます。

 どうやったら事象を楽しめるかに、フォーカスしてことに当たるかを考えられるかは、未来志向の自分を作っていきます。そして、そんな行動をしていく人は、周りにいる人々も巻き込んで、心地よくいろんなことを達成しているような気がします。

 「やらなくては」ではなく「やりたい」のに視点をずらして行動を考えてみませんか。

————————————————-
高﨑 陽介
横浜市内介護サービス事業者勤務人事担当
勤務特定社労士
http://blog.goo.ne.jp/fiveten46
————————————————-